妻が話を聞いてくれないから... 

妻が話を聞いてくれないから、ブログ始めました。

第十七回:妻は宝塚観劇の最中です(一方私は、映画「ウィンストンチャーチル」を観てきました)

 90年代に熱心に映画を観た人なら、Gary Oldmanという俳優は特別な存在だと思う。


 その感覚が共有出来る人には、今回アカデミー賞メイクアップ部門を日本人で初めて受賞した辻一弘さんが、引退していた映画の仕事をGaryの依頼で引き受けた理由が、直感的に理解出る。彼の依頼なら是非やってみたい、彼と一緒に仕事がしてみたい、そんな感情が、理屈抜きで芽生えたはずだ。因みに辻さんは私とほぼ同世代、48歳である。

 還暦を迎えた彼が、この度アカデミー主演男優賞を受賞した。
四半世紀近く彼のファンである私にとっては存外に喜ばしい事で、嬉し過ぎて彼の受賞作「ウィンストンチャーチル」を直ぐに観に行く気になれなかった。なんとなく、怖い。なんとなく、取って置きたい。なんとなく、なんとなく。

 実物の彼とは似ても似つかわないフォルムの“ウィンストンチャーチル”をどう演じるのだろう。誰もが知る歴史上の実在の人物をどう演じるのだろう。
彼に関して観賞前の不安は、杞憂でしかないのだが、果たして今回は?

  主演男優賞を受賞したとなれば、「ウィンストンチャーチル」は、まごうかたなき彼の代表作になったのだから、今回も例に漏れず杞憂に終わった。彼のファンで良かったと思える演技で、今までと変わらずこれからも彼をスクリーンで見続けていこうと思えた作品だった。

第十六回:妻はスマホをいじっている最中です(何、ニヤついとんねん!)

大学院を修了した、晴れてビジネス経営修士である。

学位授与式の私の着席位置が、降壇した生徒が席に戻る通路側に面していたので、
一生分の“にやけ顔”を見てしまった。
授与の時間、総勢200名近い人間の“にやけ顔”、老いも若きも、男も女も、オッサンもオバハンも、“にやけ”るのである。

90分、数多のにやけ顔を見続けた感想は、正直、気持ち悪い。
堂本剛ならこう言ったはずだ「正直しんどい」と。

授与時は緊張の面持ちが、降壇までは維持され、三列目、およそ4m迄は、神妙な面持ちを維持しているが、五列目、丁度私の目前で軒並み、破顔“にやけ”笑。
にやにやにやにやにや・・・・

式の間、“にやけ顔”を観察し続けた私、もうこれは歌うしかない。
それでは歌います、「how many いい顔」♪~

己の時は絶対に“にやけ”ないと誓い、「用心棒」主演時の三船敏郎を意識した苦み走った顔を崩さなかった。

つもりでいるが、にやけなかった自信はない。

第十五回:妻は「海月姫」を鑑賞中です(確定して申告するもの)

 確定申告に行ってきた。


 長年、確定申告には悩まされてきた。私を悩ますのは「確定申告」という名称だ。

 社会人を20年近く経験すると、大概の作業や業務は“申告”して“確定”する。
私「これでいいですか?」(申告)、上司「じゃあ、それでやって」(確定)というようなフローである。
 つまり「申告確定」でないと、居心地が悪い。「申告確定」の方が、収まりが良いのだ。

 

 という話を、妻にしたところ、“確定”してから“申告”する業務フローもあると云う。
“例えば”と問い質すと、暫しの無言の後、「うーん、わからんけど、あるよ」と、寄り切り押し出しの答えにならない答え。

 

 仕方がないので、自力で“確定”してから“申告”する業務を、熟慮した。

 

 私の出した「確定申告」


-キタサンブラック有馬記念で一位“確定”、馬主である北島三郎が賞金を八王子税務署に“申告”した-

 

おおおお!!確かに
“確定”してから“申告”する事、あるね!!

第十四回:妻は通勤の最中です(”スベるなア~”忘れられないスべった話)。

-その壱-
 手術室勤務の看護師の友人は、仕事柄出産の介助を業務として行うのだが、その際に困るのが同席する旦那が、生まれる間際のその瞬間を見たくて、着座指示していた椅子から立ち上がり妻の股座をのぞき込む事だそうだ。立ち上がる事で清潔区域を汚染するなど、諸々問題があるそうだ。
 彼女の話を聞いて「男性は子供が生まれる瞬間と、子供を作る瞬間は立っちゃうんだね」とコメントしたのだが、彼女は当惑していた。

 

 -その弐-
 予備自衛官補訓練を受講していた際、入隊の自己紹介で、先陣を切った上官(自衛官)隊員達が、「趣味は“子育て”」と、連続で答える状況があり、私は「趣味は“子づくり”」と答えたのだが、隊員たちは眉間のしわを解除しなかった。

第十三回:妻は「越路吹雪物語」を鑑賞している最中です。(ペーソス(pathos):もの悲しい情緒。哀愁。哀感)

 固定型の歯列矯正期間が終了し、今は着脱可能な“リテーナー”と言われるマウスピースのようなものを口内に装着している。
 一昨日、新宿高島屋地下の食料品街で、こっそりリテーナーを外した、右手で口元を隠し、誰にも気づかれず。しかし、気持ちはリングに上がる前のボクサーの様に猛々しく燃えていた。
 歯列治療が、リテーナーに変わり、初めての“デパ地下”、今までは試食後の歯磨きが煩わしく避けていたが、もう臆する事はない。

 10mm先には、餅ニラ饅頭の試食が繰り広げられていた。
 目で見て既に美味そうだ、しかも一人に一つ。売り場を取り仕切っている親父は、気風よく大きな声で呼び込みをしている。なんと、あのおばさんには二個も挙げている、太っ腹。
 リテーナーを外した私に敵は無い。猪突猛進でカウンターに向かう私。

 

 明白な“食べる気”と明確な“買わない気”を纏う私を、即座に見切った試食場の親父が一枚上手だったようで、なぜか試食にありつく事は出来なかった、振り上げた拳は一つもヒットしなかったのだ、嗚呼。


 圧倒的な敗北感に打ちのめされた私は、微塵も空腹感を満たす事は出来ず、デパ地下の隅で、そっとリテーナーを口に戻した。

第十二回:妻は入浴の最中です(父を偲んで)

 一昨年末に父親が急逝しました。


 実家で転倒し、自力で立ち上がろうとしたところ、心臓に過度の負担がかかり、そのまま昏倒したと母親から聞きました。
 実家の父親の寝室が今際(いまわの)の場所となりました。

 この度、父の最期の場所となる寝室に、慰霊碑を建立する事にしました。
武田双雲氏に揮毫して頂いた「父73歳、最期の場所、甘いものを愛した男」との文字が刻まれた立派な石碑です。
 本年8月頃に、6畳の寝室に完成します。

 母はとても喜んでおりました。
 なぜなら、存命中の父と交流のあった方々の為に、父を偲べる場所が生まれたからです。 これからは花を手向け、手を合わせる方を、実家に帰省の際は、見かける事があるかと思います。
父よ安らかにお眠りください。

 

……めちゃめちゃ、邪魔やな....六畳間に石碑建立.....

 

想像すると、主を失った父の部屋も、なんだか笑えてくる。

勿論、六畳間に慰霊碑など建てませんよ、私の妄想ですww

第十一回:妻はパンを食べている最中です(会話をとりもどせ!!♬)

 今回は(珍しく)妻が話を聞いてくれた話。

 ありふれた日常風景が一瞬で姿を変え、まるで閃光に打たれたような体験をしたので、妻に報告した話です。
 それは、立川駅前のパチンコ屋の前で起こりました。
クリスタルキングが歌う「愛をとりもどせ」が止めどなく響き、ケンシロウラオウが激しく拳を打ち付ける映像と共に、垂れ流されていました。
 誰一人関心を持つことなく、人々は行き交い、ただ私一人だけ立ち尽くしたのでした。

 というのも、初めて聴いた幼少期から経ること三十云年、「愛をとりもどせ」の歌詞の“ある言葉”が、出し抜けにその日の私の脳天を貫きました。

「“すべて溶かし無残に飛び散るはずさ”とは、一体どういう状態だろう」と。


 妻に簡単に経緯を伝え、「”すべて溶かし無残に飛び散る”って、どういう状態やと思う」と尋ねましたが、彼女は答えにあぐね、「あなたはどう思うの」と問うた。

私は「空手家が己の剛腕を証明する為に、叩き割るぐらいの厚い氷を、火だるまの人が(ダウンタウン松本が往年のコント番組「ごっつええ感じ」で演じた)キャシイ塚本先生みたいに“どーん”とブン投げた感じかなあ??」、「そんな事、現実であるんかなあ?」。

 妻は「たぶん(物理的な話ではなく)“こころ”の状況やろうね」と答え、
「キャシイ塚本先生は、心が“すべて溶かし無残に飛び散った”結果、ああなったんちゃうか」との彼女の答えが的を得すぎて「MEはSHOCK」。


 愛をとりもどせたかどうかは、分かりませんが会話は取り戻しました。